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第21号(1999年9月)

山一證券の経営破綻と銀行管理下の再建
―1965年証券恐慌と山一證券―

橋本寿朗(東京大学教授)

〔要 旨〕

 本稿は1964年夏以降における山一證券の再建過程における大蔵省,日本銀行,メインバンクの行動,役割と再建策の実施過程を分析したものである。
 証券取引法改正準備過程から大蔵省は事前的な行政指導を採用し,山一證券の業務を精査して警告を与え,トップを事実上解任した。そして,いちはやく大手証券会社の経営破綻は金融のシステミック・リスクと判断し,その対策を講じた。山一證券の再建過程においては自主再建計画に大枠を填めて,再建案の作成過程でチェックが試みられた。証券行政の事前的指導の体制への転換にあたって山一證券再建は最初の実験であった。しかし,大蔵省も望ましい証券業経営のモデルを考案できず,山一證券が立案した再建策を容認せざるをえなかった。
 他方,日本銀行は証券会社に対する救済行動を支援することには慎重であり,救済はメインバンク単独の責任とみた。しかし,運用預かりなどの解約が殺到した時点で証券業にリスクが集中したのを認めたが,金融不安が鎮静してからは債権回収を厳格に実行した。また,メインバンクは経営悪化の実態の把握に手間取り,監視機能の弱さを露呈した。救済行動を実施する際には,不充分な監視に対する大蔵省,日銀,協調銀行の批判があって,銀行団の利害調整に時を要した。
 銀行管理下の再建過程で,事業内容に関しては不介入であった。これは事業内容にかかわる専門的経営能力をメインバンクが保有していないためとみられる。したがって,山一證券の雇用調整を最少化した事業継続という志向が活かされた。しかも,山一證券は予想を上回って短期に日銀特融を返済したから根本的な事業内容の見直しは図られず,従来の業務をより慎重に運営するという修正を行ったにとどまった。根本的な問題は先送りされた。春秋の筆法を借りれば,97年における山一證券の自主廃業は再建措置に胚胎していたとみられるのである。

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