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第15号(1998年9月)

スハルト政権末期インドネシアの自動車産業とファイナンス構造

向壽一(立命館大学教授)

〔要 旨〕

 インドネシアでは,94年に100パーセント出資の外国企業進出が原則自由化されたことから,95年から97年前半にかけて大量 の直接投資・証券投資が流入し,一気に繁栄状態が醸し出された。しかし,97年7月のタイバーツ下落を契機に始まった一連のアジア通 貨危機の中で,インドネシア経済は危機に瀕し,スハルト大統領は辞任に追い込まれた。この中で自動車産業は,国民車問題の浮上やノックダウン工場の活性化がみられたが,経済通 貨危機の中で破綻状態に追い込まれてゆき,ファイナンスも危機に陥る。インドネシアの自動車販売市場は1997年で約39万台であった。日系自動車メーカーはトヨタ,ダイハツ,いすゞ,日産ディーゼル,スズキ,日野,マツダ,日産,三菱,ホンダなどがそろっている。自動車部品産業もインドネシアに進出し,95年夏にはすでに100社を超えるに至った。しかし,ルピア下落による輸入コストの大幅上昇,不況の深刻化,オートローンの機能麻痺などによるトリプルパンチで決定的な打撃を受けている。
 外資の大量流入によってもたらされた好況時に国内企業は野放図ともいえる外資借入を行った。90年代のインドネシアの場合は好況になり経常収支が悪化してファンダメンタルズが悪くなっても,外資の流入が実勢以上にインドネシア・ルピアを押し上げる(下げ止まりさせる)。このため,引き締めで高金利を維持するとルピア高になるので,中央銀行は金融引き締めを中途半端なまま留めおかざるを得ず,総量 規制と自己資本比率規制にも関わらず,外資借入を増大させた。しかし,97年7月のタイ・バーツ下落に端を発したアジア通 貨危機の中で,一気に浮動的外資が引き揚げ,華僑もドルなどに資本逃避したのである。

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