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第66巻第7号(2026年7月)

〔JSRI時事エッセイ 鈴懸の木の下〕先入観なく史実と向き合うことの重要性
―ジェンダーを手がかりに

齊藤 直(フェリス女学院大学グローバル教養学部教授/当研究所客員研究員)

近年、ジェンダーへの意識が高まっている。大学で若い学生に接しているとそのように感じることが特に多く、ジェンダーを含めて多様性を尊重する姿勢を目にして、「見習わなければ」と感じることも再三である。

もちろん経済研究においてもジェンダーへの意識は高まりつつある。筆者(齊藤)は日本経済史分野の研究者であるが、この分野でも、ジェンダーを強く意識した研究が近年登場している。例えば、消費者金融の歴史をその利用者を視野に入れながら描いた小島[2021]や、生命保険業の歴史を販売チャネル面、とりわけ女性の営業職員(いわゆる「生保レディ」)に着目して検証した金井・申[2025]などが代表的な成果といえる。歴史研究も変わりつつあるといえる。

このエッセイでは、上記のようなジェンダーへの意識の高まりを踏まえ、証券史の事例を取り上げて考えてみたい。

戦後日本の証券史を眺めると、その最初期における重要なできごととして財閥解体があった。敗戦国として戦後を迎えた日本で、アメリカを中心とする戦勝国による占領下に、戦後改革の一環として財閥解体が行われたことは、よく知られた事実であろう。もう少し詳しい人であれば、戦後改革を主導したアメリカが「経済の民主化」を理念として掲げたことや、アメリカ主導の占領となったことで戦後改革が同国の制度の導入(Americanization)という特徴を持つことになったことを想起するかもしれない。筆者が大学で日本経済史、経営史関連の講義を担当する際にも、もちろん上記のような内容を取り上げている。

財閥解体の具体的な内容を見れば、劇的という他ないものであった。財閥解体には幅広い内容が含まれたが、その主要なものの1つとして、財閥家族(三井財閥における三井家、三菱財閥における岩崎家など)や財閥本社が所有していた株式を自発的に提出するよう求め、それを当該企業の従業員や地域住民を中心とする個人を対象として分譲するという改革があった。「自発的に提出するよう求め」といっても、敗戦直後の占領下にあった財閥関係者からすれば、「強制的に没収される」という意味合いが強かったと考えるのが自然であろう。私有財産を認めることが資本主義の大前提であることを踏まえれば、所有権の事実上の否定とも捉えられる株式の没収が行われた事実は、驚くに値する。なお、このエッセイでは財閥解体のみに着目しているが、農地改革など、その他の改革にも劇的な内容が含まれていた。

このように話を進めてくると、当然ながら、次の疑問として、なぜ日本の戦後改革は劇的なものになったのかという点が浮かんでくる。実際のところ、戦後改革が劇的な内容を含むことになった背景にはどのような事情があったのであろうか。そこには複数の背景があったが、その1つ目として、アメリカによる事実上の単独占領であったことで、同国が理想とする経済のあり方が追求されたという事情があった。それにより、アメリカが必要と考える改革が実行されやすくなったのである。この点については、4か国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連)による占領であったドイツとは事情が大きく異なっている。

2つ目の背景としては、戦前日本の経済のあり方をアメリカが問題視していた点を考慮する必要がある。日本を占領するにあたり、アメリカは、戦前の日本は非民主的であり、経済のあり方がそこに深くかかわっていると捉えていた。さらに、非民主的であったことの帰結として、小作農や労働者が十分な所得を得られず、国内の市場が狭隘であったことで、財閥を含む大企業が植民地での市場獲得を求める動きを生み、これが対外侵略につながったというのが、アメリカ側の解釈であった。その歴史解釈の妥当性はさておき、占領の主体であったアメリカがそう考え、戦前日本の経済社会のあり方を問題視したのであれば、民主化が重要な課題と位置づけられたのは必然といえる。戦後改革の理念として民主化が掲げられ、特に経済面において劇的な内容を含む改革が行われた背景には、こうした事情があったのである。

以上の点は、日本史の教科書や概説書にも書かれるような基本的な理解であるが、それだけで日本の戦後改革が劇的なものになった背景を説明できるわけではない。改革を立案・実行する当事者であったアメリカ人の経済官僚がどのような状況で仕事をしていたのかを把握することで、別の背景が見えてくる。具体的には、意欲にあふれた(悪く言えば「功に焦った」)若い経済官僚が改革の立案を担当したことにより、改革が劇的になったという「人間くさい」背景があったのである。この特徴は、財閥解体にもあてはまる。なお、占領期における経済官僚の人間模様については、コーエン[1983]を読むとイメージしやすい。

では、財閥解体を主導したのはどのような人物であったのか(知っている人は、知らない体で読んでもらいたい)。財閥解体を立案・実行した中心的な人物は、エレノア・ハドレー(Eleanor M. Hadley)という名の女性であった。同氏の生年は1916年であることから、日本が敗戦を迎えた時点で満30歳に満たず、財閥解体が行われた1940年代後半は彼女の30代前半にあたっていた。「若い」というのは主観を含む形容詞であり、決めつけにならないよう注意しなければならないが、一国の経済に大きな影響を与え得る重要な改革を主導する官僚としてはあまりに若いという印象を受けるというのが正直なところである。

ハドレーは帰国後、日本における経済力集中をテーマとした研究で博士号を取得するとともに、複数の大学で教員を務めた。また、1970年にはAntitrust in Japanというタイトルの書籍をPrinceton University Pressから刊行したが、同書は日本語に翻訳され(ハドレー[1973])、日本経済史研究における基本文献の1つとなっている。ハドレーは2007年に90歳で死去したが、その数年前には財閥解体を回想する自伝を刊行しており、邦訳書(ハドレー・クワヤマ[2004])も出版されている。同書においても、戦後改革における経済官僚たちの人間模様が描写されており、興味深い。

ところで、以上のような事実を全く知らない状況で、財閥解体という史実を初めて学んだ時、改革の当事者として女性(しかも30代を迎えたばかりの女性)をイメージできるであろうか。例えば、日本史の授業で財閥解体について学んだ高校生が、財閥解体を遂行した中心人物を女性とイメージできるであろうか。あるいは、男性、女性のいずれでもあり得ると自然に考えることができるであろうか。おそらくそのようなことはないであろう。暗黙裡に、40〜50代くらいの、厳つい男性官僚をイメージするのではなかろうか。「厳つい」と決めつけるのはどうかと思うが、当時の「日本=占領される側、アメリカ=占領する側」という非対称性を踏まえれば、自然とそうしたイメージが浮上するのではないか。

このように、暗黙裡の想定をしたうえで歴史を見てしまうことは頻繁に起こり得る。ジェンダーについてはその傾向が顕著で、長い時間が経過するなかで固定されてきたイメージは根強いことから、暗黙裡の想定が置かれがちであると感じる。

歴史を学ぶうえで(あるいは歴史分野の研究をするうえで)先入観を排すべきことは、基本的な原則といってよい。とはいえ、それを徹底するのは簡単なことではない。先入観を持たずに史実と向かい合えるようになることは、歴史教育の重要な到達目標と位置づけるべきであろう。ジェンダーに即して捉えれば、暗黙裡に特定の性別を思い浮かべなくなるのが、歴史教育の到達目標の1つの目安となる。歴史教育に関わる者として、月並みではあるものの、先入観を持たずに歴史を見るという基本を徹底することが、ジェンダー分野にも大きく貢献し得ると感じている。

(参考文献)

  • 金井郁・申琪榮[2025]『「生保レディ」の現代史:保険大国の形成とジェンダー』名古屋大学出版会.
  • コーエン、セオドア(大前正臣 訳)[1983]『日本占領革命:GHQからの証言(上)』『同(下)』TBSブリタニカ.
  • 小島庸平[2021]『サラ金の歴史:消費者金融と日本社会』中央公論新社(中公新書).
  • ハードレー、エレノアM.(小原敬士・有賀美智子 監訳)[1973]『日本財閥の解体と再編成』東洋経済新報社.
  • ハドレー、エレノアM.・クワヤマ、パトリシア ヘーガン(フェルドマン、ロバート アラン監訳、田代やす子訳)[2004]『財閥解体:GHQエコノミストの回想』東洋経済新報社.
     ※ハドレーの氏名表記が文献により異なっているが、書籍における著者の表記をそのまま用いている。