K-popを通じて考えるインクルーシブ
原田 喜美枝(中央大学商学部教授/当研究所客員研究員)
職業柄、若い世代と接することが多い。学生たちは決して年を取らないのに、大学という職場で働く自分は、毎年確実に一歳ずつ年を取る。歳を重ねるごとに、学生たちとの心理的な距離が少しずつ広がっていくような感覚を抱くようになってきた。たとえば、彼らが「いいね」と話す漫画やアイドルグループの名前に聞き覚えのないものが増えたり、同じ話題についていけないと感じることが多くなったときなどに、自分は教室の中心にいるのに、疎外感を感じるような気がしたりするようになった。
大学教授たるもの、漫画やアイドルグループなど知る必要はない、という考え方もあるだろう。企業で上司が若手社員との距離感に悩むように、大学教員にとっても学生との関係づくりは課題の一つである。良好な関係が築ければ、学生たちの出席率は向上するし、相談事や悩み事を打ち明けてくれることも増える。それは結果として、より充実した学生生活につながるだろう。親の立場からしても、学生生活を温かく支えてくれる教員の存在は心強いに違いない。
そんな考えもあり、筆者はここ数年、K-popダンスを趣味として習っている。それ以前は、ご高齢の方々と一緒に整形外科のリハビリに通っていた。当時と比べると、気持ちは前向きになり、体調も良くなったように思う。職業上の変化として感じているのは、学生たちの「推し」に関する会話がわかるようになり、彼らとの距離が以前よりも縮まったように感じられることである。
リハビリ自体が悪いわけではない。ただ、この先もずっとリハビリ生活が続くのだろうかと思うと、気持ちは晴れなかったし、歳を重ねているという事実を突きつけられる感覚もあった。一方、K-popダンスはレッスンを重ねる中で、気持ちに大きな変化をもたらした。始めたばかりの頃は、なぜこんなことをしているのだろう、早くやめてしまいたいと思うことの連続だった。首は左右前後に動かないし(首だけを動かすことを首のアイソレーションと言う、基礎動作の一つ)、ステップも難しい。振り付けを覚えることすら至難の業に思えた。
それでも、いつ頃からか隙間時間を見つけては基礎練習をするようになった。学会の講演会で最後列に座り、首のアイソレーションをしながら講演を聞いていたこともある。首や肩の不調が原因でリハビリに通っていた経験もあり、首を動かすことはいまだに苦手な動きの一つである。講演者の視力が良ければ、会場の後方に少し変わった聴衆がいるように見えたかもしれない。
今では、週一回のレッスンが終わってから次の週までの間に、振り付けを覚えるだけでなく、どうすればより上手に踊れるかを考えるようになった。毎月曲が変わるため、アイドルグループの名前も自然と頭に入るようになった。華やかに見えるパフォーマンスの裏に、どれほどの練習と努力が積み重ねられているのかも、以前より実感をもって理解できるようになった。歌や踊りを極める道が、いかに厳しいものかを知ることにもなった。
さて、「インクルーシブ」という言葉は、近年さまざまな場面で耳にするようになった。社会や企業、教育の現場などで頻繁に使われているが、その意味や重要性はどの程度浸透しているだろうか。
英語のinclusiveは「包括的な」という意味を持ち、include(含む、取り込む)に由来する。特定の人を排除せず、多様な人々を受け入れる姿勢や仕組みを指す言葉である。経済学的には社会政策の理念として用いられ、多様性を尊重する考え方とも結びつく。身近な例として思い浮かぶのは、誰もが利用できるよう配慮されたバリアフリーの環境だろう。
反対の概念はexclusive(排他的)である。排除が極端な形で現れることは少ないとしても、文化や人種、宗教、年齢、性別などをめぐる分断を経験したことのない人はほとんどいないのではないだろうか。日々のニュースに目を向けると、米国ほどではないものの、日本でも所得や学歴、世代、地域などによる分断が意識される場面は増えているように感じる。
インクルーシブな社会を築くには、制度や環境の整備に加え、多様性を認め合う意識の醸成が重要だとされている。大学では現在、合理的配慮と呼ばれる個別のニーズに応じた支援が提供されている。たとえば、学期末の定期試験では、別室受験や試験時間の延長などが病名ごとに定められている。筆者が大学生だった1990年代前半を振り返ると、インクルーシブという言葉はおろか、ハラスメントという言葉すら一般的ではなかった。時代の変化を強く感じる。
大学にはダイバーシティセンターなどの施設も整備され、障害の有無や背景にかかわらず、誰もが参加できる学びの環境が広がっている。教員や職員向けの研修も進み、大学教員は意識せずともインクルーシブな姿勢に触れる機会に恵まれているのかもしれない。
ここで、再びK-popの話に戻りたい。職場では、文化や人種、年齢などによる差別や排除をしてはいけないことを理解している人であっても、筆者と同世代になると、K-popアイドルグループに対しては距離を置く人が少なくない。懇親会の席などでは、「興味がない」「区別がつかない(同じ顔に見える)」「肌の露出が多い」「紅白に出る必要はない」といった声を耳にすることもある。そうした場では、K-popダンスを習っているとはとても言えない。
あと数年もすれば、幼少期から偏見を減らす教育を受け、高校では「情報」を必修科目として学び、ダイバーシティや多様性について体系的に学んできた若者たちが社会に出てくる。ハラスメント対策だけでなく、インクルーシブな考え方そのものが、職場でもより重要になっていくだろう。
たかがK-popと思う人もいるかもしれない。しかし、身近に若者がいれば、おすすめの曲やグループを聞いてみる。あるいは、少しだけ音楽を聴きパフォーマンスを見てみる。排除せずに一歩近づいてみることで、自分自身の視野がわずかに広がることがあるかもしれない。筆者にとってK-popダンスは、学生との距離を縮めただけでなく、年齢や立場を越えて他者を受け入れる感覚を、心身を通して学ぶきっかけになっていると思っている。
「興味はあるけれど、もう年だから」と思う人もいるかもしれないが、そういう風に言い聞かせる必要はないと思う。五十肩になっても、ぎっくり腰を経験しても、思うように体が動かない日があっても、筆者も筆者のダンス仲間も楽しく学んでいるし、楽しみ方は人それぞれにある。年齢や体調、経験の違いを越えて、多様な関わり方を認め合うインクルーシブな視点こそ、これからますます大切になるだろう。インクルーシブを考える機会として、K-popはいかがでしょうか。