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第66巻第1号(2026年1月)

戦後国債発行再開と財政規律の相克

深見泰孝(駒澤大学経済学部教授/当研究所特任研究員)

戦後、日本は戦争放棄の担保、及び悪性インフレ防止を目的とする財政法4条の規定もあり、均衡財政主義、国債不発行主義を採ってきた。ところが、1965年に財政特例法が可決されて以来、国債発行は常態化し、日本の財政は「国債を抱いた財政」となった。

2024年度末時点の国債発行残高は1,100兆円を超え、GDPの2.4倍にも達し、G7諸国のみならず、諸外国と比較しても突出した高さとなっている。

今年9月に行われた自民党総裁選では、積極財政政策と赤字国債発行の是非が注目を集めた。「責任ある積極財政」を掲げる高市政権の成立後、国債の利回りは上昇を始め、指標となる10年国債利回りは2.1%(12月22日)となり、約27年ぶりの高い水準となり、30年国債利回りは3.445%(12月4日)と過去最高を更新している。

さて、筆者は『日本証券史資料』の編纂に携わっており、2015年から2023年にかけて、1965年から1988年までの国会で行われた証券関係の審議録をまとめて公刊した。この時期は戦後の国債発行が始まり、ニクソン・ショックなどをきっかけに特例国債が発行され、大量発行が始まった時期に当たる。この時期に、国会では国債発行に関してどのような議論が行われていたのか、四つの時期に分けてその歴史を振り返り、我が国では財政規律の確保がいかに困難かを考えてみたい。

1.国債発行の解禁と理想的な歯止め論(1965年~1966年)

戦後の国債発行は1965年に始まる。それまでも毎年国債発行圧力はあったものの、好況による自然増収がそれを回避させ、均衡財政が維持されていた。ただ、米澤(2013)によれば、当時の日本の財政は1962年度ごろの特別会計積立金の利用、1964年度の国債整理基金への繰入額減額、政令変更による1965年度税収の一部取り込み(税収の年度帰属区分変更)など、表面上の収支を糊塗せざるを得ない状況に陥っていた1)

そして、1965年度には前年度の税収の年度帰属区分変更の影響に加え、不景気による税収減少も重なり、補正予算での特例国債発行、翌年度予算では不況対策として建設国債の発行を決定する。当時、まだ戦時中の苦い記憶(国債増発による悪性インフレの発生)は鮮明で、国会審議では財政規律の維持と野放図な国債発行ができない仕組み(歯止め策)が最大の争点となった。

その議論は、①弾力的財政、②市中消化原則、③建設国債原則、④償還計画と減債基金制度の大きく四つの観点から行われた。①の議論では、政府が不況時には国債発行による財政拡大を、好況時には財政を縮小させ、経済とバランスを保てばインフレが防げると主張したのに対し、野党はこれでは政権の判断で野放図な国債発行が可能になるため、GNPに対する比率など客観的な数値基準を設けるべきと批判した。

また、②をめぐっては、政府は日銀が新発国債は引き受けず、市中消化を原則とすれば市場の資金需給によって自動的に歯止めが働き、インフレも防げると主張し、一方の野党は銀行が国債を引き受けても、日銀がそれを担保に融資や買いオペをすれば歯止めにならず、日銀引き受けと同じく通貨が増発されて、インフレを招くと主張した。

そして、③の議論では、政府が1966年度以降発行の国債の使途を公共事業費、出資金、貸付金に限定し、安易な赤字国債依存はしないと主張したが、野党は公共事業の範囲を拡大解釈すれば赤字国債と同質化し、国債発行が通貨供給量を増やし、インフレ要因となる点では同じと主張した。さらに、④の議論では、明確な償還計画の作成、減債基金への定率繰入義務化を野党が主張した。このように、当時の議論は財政規律維持、国債発行の歯止め策に関心が集まっていた。

2.好況下での減額努力と現実の壁(1967年~1974年)

1965年の特例債発行後、1971年以降は積極的な国債政策が始まり、我が国の財政は均衡財政、非募債主義から大きく転換した。いざなぎ景気による好況もあり、国債発行額は1968年度以降一旦減少するが、1971年のニクソン・ショック、1973年のオイルショックを契機に国債発行額は増加に転じる。

国債発行が定着し始めたこの時期の国会審議では、発行額の抑制が焦点となった。政府は見合う資産が残る建設国債なら、将来世代への負担転嫁とならずに健全性が保たれることや、安易な国債依存は利払い費を増大させ、財政硬直化を招くとして建設国債原則と国債依存度の低下を主張した2)。一方、野党は前節でも述べた建設国債の概念の曖昧さや、市中消化の実効性への疑義、法律による国債減額目標の明示や、GNP比率などによる量的歯止めを訴えた。そして、財政硬直化への懸念から国債依存度の目標をどこに置くのかなどを質問した。

しかし、ニクソン・ショックを転機に、政府は財政硬直化是正を一擲して、内需拡大(列島改造)に伴う公共事業費の急増、福祉予算、さらにはオイルショックにより財政拡張政策に転換し、それによる歳出増加が国債依存度を再び上昇させた。

この時期の国会では、政府自身も異常と認める国債依存度の高まりを背景に野党は批判を強め、建設国債は実質的な赤字国債であること(財政法4条の形骸化)や、国債増発がインフレを、それによる国債費の増加が財政硬直化を招来することなどを訴えた。これに対し政府は予想し得ない不況であり、国債の弾力的運用による景気対策が必要と主張した。

このように1960年代後半は好況を背景に国債発行額の減額、財政の健全性回復が論戦の焦点であり、政府も財政硬直化の是正を進めた。ところが、1970年代に入ると政府は財政拡張路線に舵を切り、1973年、1974年には当時の愛知蔵相、福田蔵相が国債依存度引き下げの意向を示すも3)、予算規模の膨張によって国債依存度は上昇を続けた。

3.歯止め策の崩壊と赤字国債の常態化(1975年~1981年)

ニクソン・ショックによる円高とオイルショックによって、日本経済は安定成長に移行する。財政も1974年度に行われた税収の年度帰属区分変更の影響や不景気による税収不足により、1975年度の補正予算でついに赤字国債の発行に踏み切る。さらに翌年度予算からは、当初予算でも赤字国債が発行され、日独機関車論に代表される外圧もあり、赤字国債の発行は常態化し、国債の大量発行が始まる。

この時期の国会論戦の最大の焦点は、赤字国債の常態化に対する懸念であった。野党はこれによる財政規律の崩壊を危惧し、安易な特例法の制定に猛反発した。また、クラウディングアウトの可能性や利払い費の増加による財政硬直化、地方財政への悪影響も訴えた。一方の政府は赤字国債の発行は一時的措置であり、あえて単年度立法とすることが最大の歯止めと主張し、1980年度までの赤字国債依存率ゼロを財政再建目標に掲げ、歳出抑制に向けたシーリングの実施や増税(一般消費税)も示唆した。また、国債依存度30%未満を新たな歯止めとした4)

しかし、その後も国債発行額は減少せず、1977年度の補正予算で国債依存度は30%を超え、財政再建目標も達成できずに先送り(新たな目標は、1984年度までの赤字国債依存からの脱却)し、一般消費税の導入も断念に追い込まれ、財政は悪化を続けていく。このように財政拡張路線への転換により、建設国債原則が歯止め策として通用しなくなり、さらに赤字国債の発行に対して、単年度立法による政治的な歯止めと、財政再建目標による時間的歯止めが設けられたが、赤字国債は常態化し、財政再建目標も先送りが繰り返され、財政規律の回復は困難を極めた。

4.なし崩し的な歯止め策の緩和(1982年~1988年)

財政規律の回復が困難な下でも、政府は財政再建に取り組んだ。1982年にはゼロシーリング、国債整理基金への繰入停止、1983年にはマイナスシーリング、増税なき財政再建も始め、赤字国債からの脱却を目指した。しかし、1982年には、1984年度の赤字国債脱却は困難として、鈴木総理が財政非常事態宣言を発表し、1983年には赤字国債依存脱却の時期を1990年度に先送りした。

それでも一般歳出の増加は続き、1985年からは特例国債5)の現金償還も始まるため、1984年に既発赤字国債の借換禁止規定が法律から一括削除され、翌年から赤字国債の借換えも始まった。その後はバブル経済に助けられて税収が増え、国債発行額と国債依存率は低下を始め、1990年度には束の間の赤字国債脱却を実現する。

財政再建目標が先送りされたこの時期の国会では、新たな歯止め策の摸索と赤字国債の借換を解禁するかが焦点となった。政府はゼロシーリングやマイナスシーリング、行政改革の実行、国債整理基金への定率繰入停止による予算の弾力化などによる国債発行額の減額、新たな赤字国債脱却目標の設定(1990年目標)を主張した。それに対して野党は、財政非常事態宣言は単なるスローガンにすぎず、行政改革やシーリングによる財源確保の実効性を追求した。また、赤字国債の借換えは歯止め策の崩壊であり、定率繰入停止は借金返済の意思の放棄に等しく、財政規律の完全な崩壊と批判した。

このように、特例公債法に規定された現金償還も財源不足により、禁じ手とされた借換債の発行が行われ、現実の財政危機の前になし崩し的に国債発行歯止め策が突破され、赤字国債脱却目標も先送りが続き、一度緩んだ財政を締め直すことが政治的にいかに困難かを如実に示した。

5.おわりに

さて、このコラムでは1965年から1988年にかけての国債発行に関する国会審議を振り返った。ここで明らかなことは、日本の財政がいかにして借金体質に陥り、財政規律の回復が政治的にいかに困難かである。その後もバブル崩壊や、少子高齢化による社会保障費の増加によって国債の発行は増え続け、1988年度末には157兆円だった国債残高は40年で約1,000兆円増えた。

それに伴って借換債の発行額は、一時的な減額はあっても増加傾向を続けている。これまでは人為的な低金利政策の恩恵を受けて利払費は抑制されてきたが、政策金利の引き上げも始まり、一昨年から利払い費も増加を始めている。また、市場での国債利回りも上昇しており、利払い費の増加はさらなる財政の硬直化を招き、災害対応や社会資本の更新などの必要な支出が行えなくなる懸念が現実味を増していく。

これまでの歴史を振り返れば、幾度も財政危機宣言が出され、財政規律の回復が目指されたが先送りを繰り返し、国債発行の歯止め策もその都度突破されるという堂々巡りが繰り返されてきた。財政拡張は容易であっても、財政再建はそう簡単なことではない。国債の発行は将来の税収の前借りに過ぎず、将来にツケを回しているにすぎない。政府はデフレから脱却した今こそ深刻な状況にある財政の現状と、財政再建の必要性を国民に向けて真摯に説明し、与野党も財源なきバラマキ競争を止め、財政再建に向けた取り組みを進めるべきである。

注釈

  1. 1) 米澤[2013]p.11
  2. 2) 1968年度予算では財政制度審議会の答申に基づき、数年内の国債依存度5%以下の実現を目標とし、1970年度補正予算でこの目標は達成された。
  3. 3) 「日本経済新聞」1973年6月5日、1974年7月7日
  4. 4) 長岡[1981]p.35
  5. 5) 1975年から83年に発行された赤字国債は10年債で、法律に現金償還を規定していた。

(参考文献)

  • 長岡實[1981]『素顔の日本の財政』金融財政事情研究会
  • 日本証券経済研究所[2016]『日本証券史資料 昭和続編』第1巻
  • 日本証券経済研究所[2019]『日本証券史資料 昭和続編』第2巻
  • 日本証券経済研究所[2021]『日本証券史資料 昭和続編』第3巻
  • 日本証券経済研究所[2023]『日本証券史資料 昭和続編』第4巻
  • 米澤潤一[2013]『国債膨張の戦後史』金融財政事情研究会