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第65巻第11号(2025年11月)

日本の人事制度と里親

円谷昭一(一橋大学経営管理研究科 当研究所客員研究員)

筆者は里親をしている。里親の制度を知っている方はとても少ない。ほとんどの場合、「そうですか、養子をもらわれたのですね」と返されることが多い。養子とは異なり、里親は何らかの理由でお子さんを養育できない親御さんに代わって、一時的にお子さんを預かって家庭で養育する制度である。例えば実の親御さんが加療中であり、病気が完治するまでの期間だけお預かりして養育するといった例である。あくまでも実親の一時的な代わりであり、したがって、里親には養育費が国から支給される。筆者はこの里親制度は日本の少子化に歯止めをかける特効薬であると信じているが、日本の人事制度の硬直さゆえに私の考えは単なる理想論で終わる、と諦めてもいる。

里親になるためには、まず座学や実地研修を受け、およそ半年で認定を受けることができる。里親に認定された後は希望するお子さんの条件(性別や年齢など)を出し、もしそれに合うお子さんが養護施設(乳児院など)にいる場合には里子として受け入れることとなる。もちろんいきなり我が家にお子さんがやってくるわけではない。そのお子さんが暮らしている乳児院に何日も通い、最初は30分、慣れてきたら半日、1日・・というように徐々に一緒に過ごす時間を増やしていく。もちろん平日も含まれる。私の場合には約30日間、自宅から1時間かかる乳児院に通って交流を続けた。日本企業で働く従業員がこれだけの日数の休みを取ることは現実的には困難であろう。

ところで、筆者の授業・ゼミには様々な企業の人事担当者が新卒採用やインターンシップのお誘いのためにやってくる。ある時、米国の大手金融機関の日本法人の人事担当者が説明にやってきた。そのスライドを見て衝撃を受けた。その日本法人の福利厚生のメニューの中に「養子縁組休暇」「養子縁組手当」という項目が入っていたからである。筆者は早速その人事担当者に「これはどういう制度ですか?」と心躍りながら質問した。その担当者は「よく分かりませんが、当社の人事制度は全世界共通なので、米国本社で導入されている制度と同一です」との回答だった。この養子縁組休暇の制度を日本企業が導入すれば、日本企業の従業員でも里親になることができる。

読者の皆さんの職場を見渡してほしい。お子さんのいない同僚は決して少なくないと思う。条件を満たせば独身であっても里親になることができる。そうした方々が会社の養子縁組休暇制度を使ってお子さんを家庭に迎え、そして育てる喜びを感じることができたとき、どれほどその会社に感謝し、帰属意識と向上意欲とが高まるであろうか。しかしながら、こうした感度は日本企業(もちろん大学も)の人事部又は人事担当者は持ち合わせていない。米国企業では既に導入されているのに、である。

話題がころころと変わり恐縮であるが、2024年の出生数は約69万人となり、減少傾向は著しい。仮に平均寿命を80歳とすれば、近い将来に日本の人口は69万人×80歳=5,500万人となる。今の人口が1億2,000万人なので、そう遠くないうちに国内売上げは半減する。多くの企業が消えていくであろうことは火を見るよりも明らかである。一方で、中絶数は約13万件(2023年度)である。この数字はほとんど知られていない。5人に1人は生まれてくることができないのが今の日本である。中絶の理由についての大規模な統計調査を筆者は寡聞にして知らないが、我々がすぐに想像するような望まれない妊娠の結果としての中絶ではなく、ごく普通の夫婦が経済的理由から第2子、第3子を泣く泣く諦めることも多いようである。経済的理由で出産を諦めかけている夫婦には里親制度は魅力的である。養子に出すわけではなく、あくまでも自身の経済状況が好転するまでの間だけ預かってもらうのである。期間に制限はなく、もちろんその費用は国が出し、里親の家庭にいる我が子には望んだ時にいつでも会うことができる。中絶や養子という決断よりもよほど前向きになれる選択肢ではなかろうか。中絶の際に里親制度の説明を義務化するだけで効果は出てくるのではないかと筆者は考えている。

私が里親認定のための事前研修を受けた際に、乳児院にいるお子さんには1人につき2,000万円の費用がかかっているとの説明があった。乳児院にいるお子さんを里親が預かれば、その費用(国が支払う里親への養育費)は10分の1で済む。もちろん乳児院で発生する費用の多くは保育士さんや栄養士さんの人件費といった固定費であると考えられ、お子さんが乳児院を離れて里親の元に行ったとしてもすぐに削減できる費用ではない。ただ、中長期で見れば費用は減っていくはずであり、これは国の財政という点でもメリットがある。東京都だけでも約4,000人のお子さんが養護施設で暮らしているのである。

そして何より、日々の仕事にも活力が生まれる。皆さんは「何か社会貢献をしていますか?」と問われたら何と答えるだろうか。以前の筆者は「献血です・・」と答えるのが精いっぱいであったが、今は「里親として社会に貢献しています」と胸を張って堂々と言える。それは日々の仕事の活力にもつながっている。この拙稿を読んでいただいている読者諸氏の中には人事部門の方は少ないと思われるが、もし万が一、何か感じることがあれば是非ご所属の機関の担当者にこの拙稿をお伝えしていただければ幸いである。