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証券経済研究 第84号(2013年12月)

金融機関の破綻処理と日本銀行

伊豆久(久留米大学教授・当研究所客員研究員)

〔要 旨〕
 2008年のリーマン・ショック以降,先進各国の中央銀行は,異例の措置を続けているが,金融危機への対応ということでは,1990年代に金融機関の破綻処理・資本注入を経験した日本が一回り先を行っているとも言える。金融危機対応における中央銀行の役割を考えるための準備作業の一つとして,本稿では,当時の日本銀行の役割を検証することとしたい。
 1990年代半ばからの相次ぐ金融機関の破綻に対して,日銀は,預金を保護すべくたびたび特融を実施する。それは,預金保険機構からの資金援助によって全額が返済されるが,今度は預金保険機構が資金不足に陥ってしまう。98年3月から公的資金の注入が始まると,機構の資金不足はさらに拡大するが,それも多くが,日銀貸付によってファイナンスされていた。預金保険機構は民間からの調達によって日銀借入を返済していくが,それは,日銀のゼロ金利政策や量的緩和政策によって初めて可能となったのである。破綻処理における日銀の役割は後退するが,同時に,日銀は前例のない金融緩和に踏み込んでいた。
 他方で,破綻処理の枠組みにおける日銀の役割も90年代末には大きく変化する。1996年のいわゆる住専国会でピークに達する財政資金投入への批判の高まりは,破綻処理における日銀資金への依存を強めることになるが,97年11月の大手金融機関の連続的な破綻は世論を大きく変え,以降,財政の役割が大きくなる。それまで財政資金は,(住専処理を除いて)投入されていなかったが,98年2月には預金保険機構に急遽10兆円の交付国債と20兆円の政府保証枠が付与され,それらはまもなく交付国債13兆円,政府保証50兆円余りにまで増加する。また,当初2001年3月までの時限措置とされていた主な特例措置は,2000年の法改正によって,ほぼそのまま恒久化されることになった。こうした後の変化から考えても,1990年代の日銀は,伝統的な「最後の貸し手」機能を超えて,財政および預金保険機構が果たすべき役割を代替・補完していたと言えるであろう。

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