トップ  >>  出版物・研究成果等 >> 証券経済研究 2011年度 >> 第73号(2011年3月)

出版物・研究成果等

当研究所の出版物の購入を希望される方は、「刊行物購入について」をご覧下さい。

証券経済研究 第73号(2011年3月)

公社債業者団体の形成と戦時金融統制

小林和子(当研究所主任研究員)

〔要 旨〕
 戦前期,株式を専業あるいは主業とする業者の団体と公社債を専業あるいは主業とする業者の団体とは性格が異なった。第1次世界大戦までは大株式取引所に密着した株式業者が証券界の中核であったが,大戦後に取引所取引における国債取引の復興と起債市場における社債時代の到来を背景に公社債業者の多面的な活動が浮上する。その業務の特殊性を反映して,大正期に①証券業者大会,昭和に入り歳入補填国債発行後に②全国公社債協会,昭和13年有価証券引受業法による引受会社免許を機に③証券引受会社協会が形成された。①は消滅し,②と③は並行して存在した。
 公社債業務を行う証券引受会社に対する大蔵省の免許は画期的な意味を持った。商工省による取引所取引員に対する免許は業内の規律に止まったが,大蔵省免許は広く金融統制の一環に連なり,資本金200万円以上の大株式会社という免許資格と重なって,行政による最上位証券業者グループの形成に結果した。証券引受会社は免許の本業たる公社債業務に加えて,株式業務の兼営認可を得,更に数年後には投資信託の認可も得た。自由市場の終焉による本来的証券業務の縮小下に投資信託という新業務の追加を受けて,中小業者とは対照的に大証券業者は多角化を手にしたのである。戦時の企業整備の進展と共に,証券引受会社の統合も進み,昭和20年には5社体制となった(山一,大和,日興,野村,日本勧業)。勧業債券の販売を主業とした日本勧業証券を除き,大蔵省による金融統制が戦後の総合証券4社による,4大証券体制の基礎を形成したと考える。

お探しの出版物が見つからない場合は「出版物検索」ページでキーワードを入力してお探しください。