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証券経済研究 第67号(2009年9月)

山一證券の破綻(上)

小林襄治(当研究所客員研究員)

〔要 旨〕
 山一證券の破綻(1997年自主廃業)の直接的原因は巨額の「簿外債務」であった。多くの研究が指摘するように,損失の隠蔽・先送りを図った経営幹部の無責任さや決断力の欠如,思い込み(株価回復,メインバンクや当局の「救済」),ガバナンス構造の欠陥等々に問題が含まれていた。これらの議論を否定しないが,「簿外債務」を生み出したのは1980年代の法人営業であり,また,バブル崩壊後には「自主営業」等の経営戦略が提起されたが,収益力回復に失敗した。これらの問題にもメスを入れる必要があろう。
 筆者自身,1997年に出版予定だった『山一證券百年史』の仕事に関わり(1985.97年を執筆予定),歴代社長を含む多くの関係者からのヒアリングに参加した。本稿ではまず,簿外債務の原因となる損失補填問題について,ヒアリング(行平会長と藤橋企画室長)における「証言」を紹介し,山一の立場を確認する。そして,『百年史』計画にはらまれたいくつかの問題を提起し,山一の2度の破綻(65年再建と97年廃業)をめぐるいくつかの議論にコメントする。(以上,「上」)。
 次に,横田,行平,三木の3代の社長について,それぞれの時期の「経営戦略」と問題点を究明する。横田時代(1980.88)は中期経営計画が策定され,開拓重視で,法人営業が拡大する。「法人の山一」の意味を問い,その変質(資金調達重視の「お世話役」から特金等のブローカー重視)と管理なき資金運用の実態を問題にする(「中」)。行平時代(1988.92)はバブルの絶頂と崩壊という環境激変の時期である。行平のめざした「人づくり」に焦点をあて,若手・女性依存のリテール営業の実態と社員の意識調査の結果を問題にする。三木時代(1992.97)については,三木がもっともエネルギーを注いだアカウンタビリティ・プロジェクト(人事処遇制度改革)を紹介し,次いで自主営業と草の根運動の問題点を指摘し,最後の努力(顧客創造型企業と支店自主経営)を紹介する。最後に,業績低迷の事実を確認し,環境変化への対応の遅れを指摘する(「下」)。

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