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証券経済研究 第49号(2005年3月)

現先市場の復活と新たな展開―国際標準のレポ市場創設―

中島将隆(甲南大学教授・当研究所客員研究員)

〔要 旨〕
 現先市場は長い眠りから覚め,再び日本のレポ市場として復活した。振り返ってみると,昭和60年以降,有価証券取引税が課税される現先売買は消滅し,現先市場は有価証券取引税の課税されない政府短期証券や短期国債の売買市場に変貌した。課税債券の現先市場は完全に消滅したのである。有価証券取引税は現先市場に決定的な影響を与えていた。この有価証券取引税が,平成11年3月末,廃止された。有価証券取引税の廃止によって,現先市場のルネッサンスの時代が訪れたのである。
 だが,復活した現先市場は,単純に以前と同じ市場として復活したのではない。新たな機能を獲得し,更に,装いも新たに新現先市場として復活したのである。まず,資金取引と債券取引が一体化した市場として復活した。以前の現先市場は,証券会社の買い現先が禁止され資金取引と債券取引が分断されていた。金融自由化の進展により証券会社の買い現先が自由化され,債券ディーラーは現先市場で債券の調達と運用,資金の運用と調達が可能になった。現先市場は資金取引と債券取引が一体化した市場として復活したのである。次に,これまでの現先取引の手法を整備して新現先市場として再編成された。従来の取引形式は継承しつつもリスク・コントロール条項を新設し,国際標準に適合したレポ市場として再編成されたのである。
 改めて述べるまでも無いが,現先市場の重要性はどれほど強調しても強調しすぎることは無い。現先取引の仕組みは,日本の誇るべき金融革新技術であった。現先市場の起源は昭和20年代中頃にさかのぼる。人為的低金利政策によって債券の流動性が奪われていたが,流動性の無い債券に流動性を付与する技術として現先取引が創意工夫されたのである。この金融革新技術は昭和30年代の公社債投信破綻時に広く市民権をえて,昭和40年代には唯一の自由性短期金融市場として資金市場と債券市場に流動性を供給した。昭和40年代末の債券総売買高に占める現先売買の比率は実に70%を超えていた。金融政策の基調が人為的低金利政策の下では,資金配分は人為的な信用割り当てによって行われ金利メカニズムによる資金配分は否定される。硬直的な資金配分が行われる中で,現先市場は金利メカニズムによる資金配分が行われる唯一の市場として資金市場と債券市場に流動性を供給してきたのである。だが,金利メカニズムが機能する市場であるが故に,政府も日本銀行も現先市場を無視し「鬼っ子」扱いにしてきたのである。昭和50年代に入ると,大量国債発行のディーラーファイナンスとして現先市場は「認知」される。グレーマーケット扱いの現先市場は公認された。しかし,同時に,現先市場は証券金融行政の下に包摂され事になる。
 大量国債発行と共に金融自由化が不可避となり,自由金利市場が拡大する。その結果,皮肉な事に,現先市場は消滅の運命をたどることになった。現先は売買だから有価証券取引税が課税される。現先市場は税コストの故に高コストの市場となって他の自由金利市場と競合することが出来なくなったからである。また,証券金融行政に包摂された現先市場は,銀証分離の行政指導によって証券会社の買い現先が禁止された。このため,平成元年に債券の空売りが自由化されても,現先市場で債券を調達することが不可能であった。債券調達市場として債券貸借市場が創設されたが,債券貸借市場は空売りのための債券調達だけに機能が限定された。銀証分離の原則によって,債券貸借市場と現先市場は峻別されたのである。平成8年には国債のローリング決済方式導入が必要になった。ローリング決済方式を導入するには,現先市場を復活させてレポ市場の整備が必要となる。しかし,売買形式のレポ市場は有価証券取引税が課税される。有価証券取引税を回避するため,現金担保付債券貸借取引(日本版レポ)が創設されたのであった。
 平成11年3月,有価証券取引税はついに廃止された。現先市場のルネッサンスの時代が訪れたのである。小論では,現先市場の復活を次ぎの順序で述べていきたい。まず,復活した現先市場は旧現先や貸借取引,現金担保付債券貸借取引と比較して,いかなる特徴があるかをみていく。次に,円の国際化を進めるため新現先市場が創設されたが,レポ収益に対する課税問題が新現先の大きな障害になった。この難問がどのように解決されていったか,そのプロセスをみていく。新現先発足後,日本銀行は新現先方式によるレポオペや国債補完供給制度によって新現先市場の育成に極めて積極的である。諸外国でもレポオペが金融調節の重要な手段となっている。日本銀行と新現先市場の関係をみていく。最後に新現先市場創設の意義を考えてみたい。
 現先取引は,昭和20年代の中頃,野村証券債券部の少数の人達によって創意工夫された取引手法であった。筆者は幸運にも,昭和49年,創意工夫された当時の先人達から直接ご教示を頂く機会に恵まれた。日本相互証券株式会社社長の菅氏や偕成証券社長の金子氏からは市場創設の経緯を詳細に聞くことができた。また,多くの市場関係者の皆さんからは,現先市場が「鬼っ子」扱いになっていた当時,現先市場を整備育成するため如何なる工夫をしているか,公開されていない市場の現状について,ご教示を頂く機会をえた。「鬼っ子」扱いの市場となっているから,取材先は一切,公表しないで欲しい,と強く要望された。現先取引の仕組みは日本が誇るべき金融革新技術である。金融技術を開発しその技術を発展させた人々は,それによって栄誉を与えられたわけではない。名前さえ記録として残っていない。この人々は,いわば「地上の星」である。本小論は,現先取引を創意工夫し,「鬼っ子」扱いされていた現先市場を守り育てた先達へのオマージュである。

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