トップ  >>  出版物・研究成果等 >> 証券経済研究 2001年度 >> 第32号(2001年7月)

出版物・研究成果等

証券経済研究 第32号(2001年7月)

戦前の投資信託

古川文久(だいこう証券ビジネス企画開発部課長)

〔要 旨〕
 わが国で最初に投資信託が設定されたのは昭和16年11月野村證券を委託者,野村信託を受託者とした契約型であった。これよりも以前に投資信託の類似のものとして昭和4年の昭和恐慌後,小口投資家の資金を集めて東新株(当時の指標株)を投資対象とした東新株買同盟会があった。投資対象を一銘柄としていたが,共同投資による危険回避といった部分的に投資信託の概念が取り入れられていた。投資信託の研究が進められ,投資信託の概念に基づいて設立されたのが昭和12年7月の藤本ビルブローカー証券が販売した「藤本有価証券投資組合」であった。この組合は1口500円出資の組合員を募り,出資金200口で1組合としていた。組織の形態は民法上の組合であったが,組合の運営が合同運用信託に類似しているとの信託会社から批判が出る一方組合の運用成績も悪化したため昭和15年6月に募集を中止した。そして昭和16年第2次世界大戦が開始されるころから,政府としては公社債の消化,株価水準の維持などを第一の目的として投資信託制度の実現が必要となった。そして,一方では証券会社や信託会社としても国家総動員法等の金融統制により業務範囲が縮小化していくため,恒常的収入を確保するために投資信託の創設を求める声を高めていった。このような背景の下,前述のように昭和16年11月に投資信託が設定された。この戦前の投資信託は現行の証券投資信託と比較して相違点があった。主な相違点として,(1)根拠法としての特別法がなかったこと,(2)買い戻し及び部分解約の規定がなかったこと,(3)受益証券はすべて記名式であったこと,(4)受益証券の発行者が受託会社であったこと,(5)受益者の損失に対する委託会社の補償規定及び利益に対する委託会社の特別報償金があったことが挙げられるが,補償規定に関して運用成果は全て受益者に帰属する投資信託の制度に反するものであるが,当時,預貯金に慣れている国民に対して投資信託への安心感を深めるためにはやむを得ない規定であった。

お探しの出版物が見つからない場合は「出版物検索」ページでキーワードを入力してお探しください。