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出版物・研究成果等

証券経済研究 第25号(2000年5月)

六大企業集団の社長会について(下)

菊地浩之(日本総合研究所)

〔要 旨〕
 1950年代の社長会結成は,財閥解体で解体された直系企業が集った懇親会という感が強く,必ずしも企業集団化を意図したものではなかった。1960年代に入ると,高度成長期に合わせて重工業化路線が推進され,旧財閥系企業集団は社長会を再編し,グループの総合力を生かした企業活動・企業戦略を展開した。これに対抗すべく,新興系企業集団が社長会を結成した。
 1966年に芙蓉系(富士銀行系)の社長会「芙蓉会」が結成された。富士銀行は企業間取引と財界活動という2つの側面 から,旧財閥系に対抗する第4勢力の旗揚げを説き,血縁によらない本格的な社長会の結成に成功した。そのメンバーは血統より資産規模や産業配置を重視し,実質的に芙蓉系と言えない企業も少なくなかった。やがて旧財閥系のグループ戦略が失速し,オーバー・ボローイングが解消されてくると,「芙蓉会」は存立する基盤・前提を失っていった。こうして1997年に“芙蓉バッシング”勃発の背景が出来上がった。
 三和系では1967年に「三水会」を結成したが,トップの懇親会の域を出なかった。そこで三和銀行は,新たにメンバーを募り直して積極的にグループ活動を行う実務部隊「クローバー会」を発足させた。社長会とその下部組織はメンバー企業が等しいのが普通 であるが,「三水会」と「クローバー会」ではかなりの相違がみられる。「三水会」では株式持ち合いが思うように捗らず,各メンバーにとって「三水会」は株主安定化に寄与していなかった。事実,「三水会」メンバーの数社は株式買い占め事件に遭ったが,「三水会」メンバーは傍観するのみで,積極的に動こうとしなかった。
 一勧系「三金会」では,株式所有比率の高い古河・川崎グループが独自に社長会を開催して「三金会」を軽んじ,残るメンバーは株式所有比率が低く,一勧色が極めて希薄である。その結果 ,「三金会」は単なる懇親会に終始した。
 社長会メンバーの株式持ち合い比率は1970年代まで上昇の一途をたどっているが,年々,社長会の支配力は低下している。新興系企業集団では社長会に属していながら,外資系企業・創業者一族や他系列に大株主を擁するケースも散見する。これらの事実は,社長会が大株主会として機能していないことを表している。

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