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出版物・研究成果等

証券経済研究 第18号(1999年3月)

アジア危機とグローバル・キャピタリズム―アジアの多様性と市場に関する予備的考察―

南雅一郎(徳山大学講師)

〔要 旨〕
 本稿の目的は,一昨年以降のアジア危機に関するこれまでの諸論を俯瞰しつつ,市場(グローバル・キャピタリズム)と国家の相剋という視点からアジア危機を再彫刻することにある。すなわち,金融システムの収斂 という市場経済の論理と歴史を引き継いだ国家との間の対立をアジア危機を題材として改めて検討し,国家の多様性と市場の関係を理解する上での予備的考察を試みることにある。
 一般に,グローバル化した資本が金融システムの収斂を促すとか,グローバル市場に適合しない金融システムは淘汰されるといわれる。アジア危機の分析においても,そうした文脈に従って多数の議論が展開され,市場化やグローバル化が過大評価されてきた。その結果 ,「市場の失敗」やグローバル資本をめぐる諸問題が過小評価され,逆にアジア諸国の「政府の失敗」が一義的に強調されてきた。しかし,むしろコラージュ的なイメージでアジア危機を捉え直し,アジア本来の特徴である多様性に焦点を当てる必要があるのではないか。
 もちろん,市場化やグローバル化の趨勢を矮小化すべきではない。しかし,同時にそれを過大評価すべきでもないし,多様なアジアはモザイク的であり続けるという可能性を過小評価すべきでもない。アジア諸国のこれまでの対応を振り返れば,金融業がグローバル化する中で各国金融システムが収斂する部分を持つという視点と同時に,独自性もまた部分的にせよ残るという視点も強調されるべきである。
 アジア諸国に求められることは,市場の要求を貫徹することでもグローバル・キャピタリズムを浸透させることでもなく,グローバル化とローカル化の同時性を認識した上で,各々のあり方を歴史的経緯と個別 の価値観に基づいて見つめ直すことである。
 欧州通貨危機,メキシコ通貨危機,アジア危機と,1990年代は危機が常態化した時代であった。そうした中,各国政府が自らの価値観を前提として国家と市場のバランスをとらずして,資本自由化とグローバル化を過大に不可避かつ有用なものと錯誤している限り,グローバル資本を如何に規制するかは真剣に検討されず,その結果 として危機が再来する可能性を否定できない。

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