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証券経済研究 第110号(2020年6月)

株価の価値源泉を求めて—ベンサムのアダム・スミス批判の含意—

野下保利(国士館大学政経学部経済学科教授)

〔要 旨〕
 証券市場,特に,米国株式市場は,現在,大きな変化に晒されている。すなわち,ヘッジファンドや代替投資ファンド,高頻度取引ファンドの登場など投資家の多様化が進む一方,伝統的な市場慣行に囚われない投資家層の台頭は,株価を乱高下させるとともに,株式会社制度にかかわる新たな問題を生み出している。
 こうした問題のなかでとりわけ注目されるのが,米国においては,株価指標が市場最高値を記録し時価総額が急増する一方,上場会社数が1996年をピークに減少を続けていることである。このことは,株式市場での資金調達機能が減退しつつあることを示している。株式市場の資金調達機能は否定できないにしても,上場企業の減少や直接上場がみられるような状況では,株式市場のマクロ経済的役割を資金調達だけに求めるのは限界がある。
 株価形成の現状は,しばしば,株式市場が製造業の成長や雇用の増大に貢献しないばかりかかえって負の作用を及ぼしているという批判を生み出している。事実,多様な投資家からなる証券市場は,株価を高騰させる一方,フラッシュ危機のように株価を急落させる事態も招いてきた。他方,株式市場の役割を肯定的に評価する現代資産価格論においては,株価形成は投資家の主体均衡の観点から均衡制約の下での各種規定要因の列挙にとどまり,各要因の序次関係やマクロ的含意は深く追求されない。株式市場をめぐる現状は,株価形成を投機的として否定的に捉えるのでも,投資家の主体均衡の観点からだけ捉えるのでもなく,株価形成の社会経済的役割を再考する必要があることを示している。
 広範かつ持続的に取引されている商品に対して価格が形成されている限り,その商品は,社会にとってなんらかの経済的意義があることを意味している。しかし,商品価格は商品価値を貨幣量で表現したものである。したがって,商品の価格形成は,価格付けされる商品が何らかの価値量を体化していることを前提とする。したがって,商品の価格形成は,社会成員が商品を取得する貢献度あるいは経済的意義を評価し価値を付与する仕組みにほかならない。株式もまた,広範な人々によって日々価格付けされている。鉄や小麦といった実物商品の価値が社会の存続と発展に必要な商品の生産・分配に要する貢献度の評価であるとすれば,株式市場で株式に付与される価格はどのような社会的貢献度を表しているのであろうか。
 ベンサムは,『高利の擁護』において,物財の生産・分配にかかわる労働だけに価値形成を認める立場から商工業者の利害を優先し高利禁止法を擁護したアダム・スミスを厳しく批判した。なぜなら,スミスの高利禁止擁護論は,将来の価値生産を期待して資金を借り入れようとする起業家の意欲を削ぐだけでなく,事業計画を評価し資金供給する貸付業者や証券投資家といった資金供給主体の役割も否定することにもなるからである。本論文では,第1に,『高利の擁護』におけるベンサムによる生産の経済学者スミス批判を検討する。第2に,その検討を踏まえて,実物商品の価格形成と異なる株式などの金融商品の価格形成の特性について含意を導くことを課題とする。これらの検討をつうじて,株式会社制度が,なによりも,精神労働を商品化し証券投資家が株式市場で価格付けることによって精神労働を社会的に価値評価する仕組みであることを明らかにする。

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